《反经·先胜》
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孙子曰:“善用兵者,先为不可胜,以待敌之可胜。”何以明之?
梁州贼王国围陈仓。乃拜皇甫嵩、董卓,各率二万人拒之。卓欲速进赴陈仓,嵩不听。卓曰:“智者不待时,勇者不留决。速战则城全,不救则城灭。全灭之势,在于此也。”嵩曰:“不然。百战百胜,不如不战而屈人之兵。是以先为不可胜,以待敌之可胜。不可胜在此,可胜在彼(范蠡曰:“时不至,不可强生;事不究,不可强成。”此之谓也。)彼守不足,我攻有余。有余者,动于九天之上;不足者,陷于九地之下。今陈仓虽小,城守固备,非九地之陷也;王国虽强,而攻我之所不救,非九天之势也。夫势非九天,攻者受害;陷非九地,守者不拔。国今已陷受害之地,而陈仓保不拔之城。我可不烦兵动众,而取全胜之功,将何救焉?”遂不听。王国围陈仓,自冬迄春八十余日,城坚守固,竟不能拔。贼众疲弊,果自解去。
嵩进兵击之,卓曰:“不可。兵法:‘穷寇勿迫,归众勿追。’今吾追国,是迫归众、追穷寇也。困兽犹斗,蜂虿有毒,况大众乎?”嵩曰:“不然。吾前不击,避其锐也(实而备之,强而避之,锐卒勿攻。兵之机也。)。今而击之,待其衰也。所击疲师,非归师也;国众且走,莫有斗志。以整击乱,非穷寇也。”遂独进兵击之,使卓为后拒。连战,大破。国走而死。卓大惭恨(孙子曰:“怒而挠之。”言待其衰也。又曰:“卑而骄之。”言敌怒而进兵,则当外示屈弱,以高其志,待其归,随而击之。又曰:“引而劳之。”言因其进退以观其变,然后攻其不备,出其不意。此兵家之胜,不可传也。)。
青州黄巾众百余万入东平,刘岱欲击之。鲍永谏曰:“今贼众百万,百姓皆震恐,士卒无斗志,不可敌也。观贼众,群辈相随,军无辎重,唯以抄掠为资。今若畜士众之力,先为固守,彼欲战不得,攻则不能,其势必离散。然后选精锐,据其要害,击之,可破也。”岱不从,果为贼所败。
晋代王开攻燕邺城,慕容德拒战,代师败绩,德又欲攻之,别驾韩谭进曰:“昔汉高祖云:‘吾宁斗智,不能斗力。’是以古人先胜庙堂,然后攻战。今代不可击者四,燕不宜动者三:代悬军远入,利在野战,一不可击也;深适近畿,顿兵死地,二不可击也;前锋既败,后军方固,三不可击也;彼众我寡,四不可击也。官军自战其地,一不宜动;动而不胜,众心难固,二不宜动;城池未修,敌来无备,三不宜动。此皆兵机也。深沟高垒,以逸待劳。彼千里馈粮,野无所掠,久则三军靡费,攻则众旅多弊,师老衅生,详而图之,可以捷也。”德曰:“韩别驾之言,良、平之策也。”(孙子曰:“以远待近,以逸待劳,以饱待饥,此治力者。”)此先胜而后战者也。
『反经章节目录』
反经 先胜译文
孙子说:“善于用兵打仗的人,首先要创造条件,使自己不致被敌人战胜,然后等待和寻求敌人可能被我军战胜的时机。”为什么这样说呢?梁州贼寇王国围困陈仓,皇上于是拜皇甫嵩、董卓为将,各率领…详情
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